Bitter Cafe
苦くて渋くて辛くて酸っぱい日記
年に1回の私が洋服を買っている店のご招待パーティに、今年も行ってきた。
以前は、駅に近いホテルで立食だったけど、去年から、街中からちょっと離れた場所にある自社のカフェレストランに場所を変えたので、結構不便。
カフェスタッフと洋服販売スタッフが料理を作ったり盛りつけたりしてるらしいけど、どれも冷えていて、そういうところの気遣いはあまりないらしい。
軽食に加え、毎回イベントがある。今年は、洋服スタッフのファッションショーだった。
招待客のいるイベントだけでなく、スタッフだけのイベントも、通常業務以外の準備にかなり時間をかけていて、「私たち楽しんでますよー」というアピールはするものの、就職情報サイトに載っている口コミは、かなりひどい。オーナーは、仕事を趣味にせよ的理想論を持っているようだけど、以前は、泊まりこみで準備したりもしていたらしいし、今でも、店を閉めてからの作業で、これらが「業務」とみなされず、手当がないらしい。
洋服が好きであれば、それなりの楽しさもあるだろうけど、プライベート一緒くたで、奉公させられたんじゃ、やっぱり今どきの子は(今どきでなくても)、なかなかついていかなかろう。
だいたい、ここで買うようになったから私はそれなりの待遇を受けているけど、それまでは「買わない」と、どいつもこいつも「すげー顔に出るやつら」だった。
こうして料理は冷たいの裏事情はどうのこうの言いながら、わざわざ電車とバス乗り継いでまで参加してる私もどうよなんだけど。
以前は、駅に近いホテルで立食だったけど、去年から、街中からちょっと離れた場所にある自社のカフェレストランに場所を変えたので、結構不便。
カフェスタッフと洋服販売スタッフが料理を作ったり盛りつけたりしてるらしいけど、どれも冷えていて、そういうところの気遣いはあまりないらしい。
軽食に加え、毎回イベントがある。今年は、洋服スタッフのファッションショーだった。
招待客のいるイベントだけでなく、スタッフだけのイベントも、通常業務以外の準備にかなり時間をかけていて、「私たち楽しんでますよー」というアピールはするものの、就職情報サイトに載っている口コミは、かなりひどい。オーナーは、仕事を趣味にせよ的理想論を持っているようだけど、以前は、泊まりこみで準備したりもしていたらしいし、今でも、店を閉めてからの作業で、これらが「業務」とみなされず、手当がないらしい。
洋服が好きであれば、それなりの楽しさもあるだろうけど、プライベート一緒くたで、奉公させられたんじゃ、やっぱり今どきの子は(今どきでなくても)、なかなかついていかなかろう。
だいたい、ここで買うようになったから私はそれなりの待遇を受けているけど、それまでは「買わない」と、どいつもこいつも「すげー顔に出るやつら」だった。
こうして料理は冷たいの裏事情はどうのこうの言いながら、わざわざ電車とバス乗り継いでまで参加してる私もどうよなんだけど。
昨日、がんばった自分へのご褒美に温泉へ。
行きの電車の先頭車両に乗ろうとしたときに、車掌か運転士かのどちらかが、窓から顔を出して、「なんとかかんとかよーし、なんとかよーし」の指差し確認を始めた。
最初の確認の前だったか後だったかのところで、「はぁー」というでかい溜息が聞こえた。
もしかしたらマスクをしていたので、小さいくしゃみをして、その余りの息が漏れたのかもしれないけど、聞こえたのは、でかい溜息だけだった。
送迎のシャトルバスに乗っていたら、2人のおばさんが乗ってきて、窓の外から私が見えただろうに、1人が「誰も乗っていない」と言い、もう1人が「一人いるよ」と言っているのに、降りるときに「私たちだけだった」と言っていた。
乗ってんだよ私も。
帰ってきて(温泉にいる間の出来事は割愛)、夕飯の買い物をしていたら、近所のトカゲ退治(おととしの夏の出来事)のおばさんに会った。今年町内のうちの組の組長さんで、私は4月から。
現組長と次期組長に、お知らせが来て、3月10日に集まりがあるという。
そんなもの今までなかったから、何の集まりなのか聞いたけど、名簿がどうだとか削除がどうだとか防災委員がどうだとか、全然要領を得ない。おばさんは、お知らせを読んでも理解できないという。後でポストに入れておくからと言っていたけど、直接持ってきた。
まず日にちが違っていて、3月1日だった。
最近の流れで、町内のすべての人を名簿に載せることへの意見がでているとかで、それについての説明会らしい。そこでやっとおばさんの、「削除」の意味がわかった。載せたくない人の削除という意味だった。
去年の組長さんが、今年防災委員をやってくれているけど、これが決まった経緯がわからないのに、おばさんは、来年も同じ人でいいんだよねという。万年防災委員にされたんじゃ、今年の人も困るだろう。どういう経緯でそうなったかまず聞いて、今年の組長が来年は防災委員かもしれないですよと、私から言っておいたけど、おばさんはやりたくなさそうだった。私だってその順番になるなら組長の後は防災委員だけど、災害がなければそんなにやることもないだろう。
こうして、いろんな人が歳を取って、理解することが難しくなってくる。以前とは違って、おばさんは、2人いる息子のうちのどちらかが帰ってきてくれればいいと思っている様子(以前は、自分たちがどちらかのところに行くという感じだったけど)。帰ってきてくれれば組長周期が減らずに済むけど、このまま1周して、またおばさんがやるとなると、かなり心配なことになりそうな気もする。
私もいつまで、これを理解して、組長職を受けられることやらである。
行きの電車の先頭車両に乗ろうとしたときに、車掌か運転士かのどちらかが、窓から顔を出して、「なんとかかんとかよーし、なんとかよーし」の指差し確認を始めた。
最初の確認の前だったか後だったかのところで、「はぁー」というでかい溜息が聞こえた。
もしかしたらマスクをしていたので、小さいくしゃみをして、その余りの息が漏れたのかもしれないけど、聞こえたのは、でかい溜息だけだった。
送迎のシャトルバスに乗っていたら、2人のおばさんが乗ってきて、窓の外から私が見えただろうに、1人が「誰も乗っていない」と言い、もう1人が「一人いるよ」と言っているのに、降りるときに「私たちだけだった」と言っていた。
乗ってんだよ私も。
帰ってきて(温泉にいる間の出来事は割愛)、夕飯の買い物をしていたら、近所のトカゲ退治(おととしの夏の出来事)のおばさんに会った。今年町内のうちの組の組長さんで、私は4月から。
現組長と次期組長に、お知らせが来て、3月10日に集まりがあるという。
そんなもの今までなかったから、何の集まりなのか聞いたけど、名簿がどうだとか削除がどうだとか防災委員がどうだとか、全然要領を得ない。おばさんは、お知らせを読んでも理解できないという。後でポストに入れておくからと言っていたけど、直接持ってきた。
まず日にちが違っていて、3月1日だった。
最近の流れで、町内のすべての人を名簿に載せることへの意見がでているとかで、それについての説明会らしい。そこでやっとおばさんの、「削除」の意味がわかった。載せたくない人の削除という意味だった。
去年の組長さんが、今年防災委員をやってくれているけど、これが決まった経緯がわからないのに、おばさんは、来年も同じ人でいいんだよねという。万年防災委員にされたんじゃ、今年の人も困るだろう。どういう経緯でそうなったかまず聞いて、今年の組長が来年は防災委員かもしれないですよと、私から言っておいたけど、おばさんはやりたくなさそうだった。私だってその順番になるなら組長の後は防災委員だけど、災害がなければそんなにやることもないだろう。
こうして、いろんな人が歳を取って、理解することが難しくなってくる。以前とは違って、おばさんは、2人いる息子のうちのどちらかが帰ってきてくれればいいと思っている様子(以前は、自分たちがどちらかのところに行くという感じだったけど)。帰ってきてくれれば組長周期が減らずに済むけど、このまま1周して、またおばさんがやるとなると、かなり心配なことになりそうな気もする。
私もいつまで、これを理解して、組長職を受けられることやらである。
以前、ネット記事にあった、自分に損がなくても人の幸せを喜べない人間云々の話から、私は、負けず嫌いのやきもち焼きだから、がんばらずに自分より良い成績をとるやつの「幸せ」を喜べないという話をした。
あくまで、この比較対象は、自分と同じレベルの人間で、これが、はるかに上の人だったり、自分には全く違う分野の秀でた人だった場合、そういう人たちは、リスペクトする。
女性ががんばる、ある番組なんぞ、毎回尊敬している。
あるカクテルコンテストで、1位になった人について、職場で話をした。
コンテストでデモンストレーションする動画とか、このカクテルがどういうものかなどを見ていると、私とは違うところで、すごくがんばっている人を感じて、尊敬した。
このカクテルを飲んだこともこの店に行ったこともない。ただ、ある人がおいしいし、使っているものでこれだけの味を出しているところがすごいと語っていた。
これに対して、写真を見ただけで「これが?まずそう」だといった人がいた。まずそう?1位だからおいしいと思う私の先入観もあるだろうけど、私は、がんばってできたものに対して、何も知らずに「まずそう」とは思わない。
さらに、どんなに「飲んだ人がおいしいと言っていた」といっても、顔をしかめて「えーーー」そして、「ちょっと一口ちょうだい」だと言った。
どこにでもある誰でも行く居酒屋のカクテル(すみません、ものすごく考えて作っている人がいるかもしれませんが、一般的に比較させていただきます)を、交換し合うようなものだと?
私の言うことは余計なおせっかいで、このカクテルの作者は「気軽に、一口でも、知ってもらいたい」と思う心の広い人かもしれないから、単に、私の気持ちだけの問題。
これにははるかに及ばないけれど、私も人前でデモンストレーションする試験を受けたことがある。そりゃーもう、寝ても覚めても準備をして、おまけに筆記試験まであって、そのプレッシャーたるや大変なものであった。
だから私は思うのだ。残した結果の後ろにあるものを感じたい。自分の知らない世界、できない世界をディスりたくない。まずリスペクトしたい。
なんてことをね、ここで言っていると、もしかしたら該当者が読んでるかもしれないんでね、私は「まずそう」も「一口ちょうだい」もこんな気持ちで聞いたのよってことで。
最後に、もし、自分がこのカクテルをオーダーする場面があれば、絶対一口あげない。
あくまで、この比較対象は、自分と同じレベルの人間で、これが、はるかに上の人だったり、自分には全く違う分野の秀でた人だった場合、そういう人たちは、リスペクトする。
女性ががんばる、ある番組なんぞ、毎回尊敬している。
あるカクテルコンテストで、1位になった人について、職場で話をした。
コンテストでデモンストレーションする動画とか、このカクテルがどういうものかなどを見ていると、私とは違うところで、すごくがんばっている人を感じて、尊敬した。
このカクテルを飲んだこともこの店に行ったこともない。ただ、ある人がおいしいし、使っているものでこれだけの味を出しているところがすごいと語っていた。
これに対して、写真を見ただけで「これが?まずそう」だといった人がいた。まずそう?1位だからおいしいと思う私の先入観もあるだろうけど、私は、がんばってできたものに対して、何も知らずに「まずそう」とは思わない。
さらに、どんなに「飲んだ人がおいしいと言っていた」といっても、顔をしかめて「えーーー」そして、「ちょっと一口ちょうだい」だと言った。
どこにでもある誰でも行く居酒屋のカクテル(すみません、ものすごく考えて作っている人がいるかもしれませんが、一般的に比較させていただきます)を、交換し合うようなものだと?
私の言うことは余計なおせっかいで、このカクテルの作者は「気軽に、一口でも、知ってもらいたい」と思う心の広い人かもしれないから、単に、私の気持ちだけの問題。
これにははるかに及ばないけれど、私も人前でデモンストレーションする試験を受けたことがある。そりゃーもう、寝ても覚めても準備をして、おまけに筆記試験まであって、そのプレッシャーたるや大変なものであった。
だから私は思うのだ。残した結果の後ろにあるものを感じたい。自分の知らない世界、できない世界をディスりたくない。まずリスペクトしたい。
なんてことをね、ここで言っていると、もしかしたら該当者が読んでるかもしれないんでね、私は「まずそう」も「一口ちょうだい」もこんな気持ちで聞いたのよってことで。
最後に、もし、自分がこのカクテルをオーダーする場面があれば、絶対一口あげない。
私が子供の頃、我が家は下宿屋を営んでいた。
昔のことなので、賄付き。襖で仕切られただけの広さの違う3室に、建築家の男子学生3人が生活していた。
小学校低学年くらいまでは、彼らに遊んでもらっていた。
最近の大学生を見ると、「あーこんな子たちが、私の相手をしてくれていたんだ」とちょっと不思議な感覚になる。
老朽化も進み、間貸し部分をリフォームすることになって、下宿屋はたたむことになった。
私は小学校5年生くらいだったと思う。このくらいの年齢になると、ちょっと「お兄ちゃんに遊んでもらう」ことに抵抗があったようで、最後の下宿生とは、あまりなじめなかった。
その最後の下宿生が、これまでに2回、我が家を訪ねてきてくださっている。
1回目は、両親と私、2回目は、母亡き後、父と。
そして、今日。来てくださるたびに1人ずつ家族が減っていた我が家。
今日は私が不在でお会いできず。玄関に挟まっていた名刺を頼りに電話をしてみた。
建築士としてご活躍の様子。確か、年上の奥様と聞いていたところ、すでに亡くなられ、お子さんたちも独立して、現在はおひとりとのこと。
歳をとったというより、私も大人になったんだな。大人として、昔を語ったそんな気分だった。
同じ玄関から入って誰もが歩く廊下を通って階段をあがる。
食事ができると、かーさんが「ごはんですよー」と呼ぶか、私が呼びに行く。
かーさんの作る食事を、3人で会話しながら食べる彼ら。その横で、着せ替え人形遊びをしていた私。
受け入れていたんだな、あの頃の我が家はこんな風に。
昔のことなので、賄付き。襖で仕切られただけの広さの違う3室に、建築家の男子学生3人が生活していた。
小学校低学年くらいまでは、彼らに遊んでもらっていた。
最近の大学生を見ると、「あーこんな子たちが、私の相手をしてくれていたんだ」とちょっと不思議な感覚になる。
老朽化も進み、間貸し部分をリフォームすることになって、下宿屋はたたむことになった。
私は小学校5年生くらいだったと思う。このくらいの年齢になると、ちょっと「お兄ちゃんに遊んでもらう」ことに抵抗があったようで、最後の下宿生とは、あまりなじめなかった。
その最後の下宿生が、これまでに2回、我が家を訪ねてきてくださっている。
1回目は、両親と私、2回目は、母亡き後、父と。
そして、今日。来てくださるたびに1人ずつ家族が減っていた我が家。
今日は私が不在でお会いできず。玄関に挟まっていた名刺を頼りに電話をしてみた。
建築士としてご活躍の様子。確か、年上の奥様と聞いていたところ、すでに亡くなられ、お子さんたちも独立して、現在はおひとりとのこと。
歳をとったというより、私も大人になったんだな。大人として、昔を語ったそんな気分だった。
同じ玄関から入って誰もが歩く廊下を通って階段をあがる。
食事ができると、かーさんが「ごはんですよー」と呼ぶか、私が呼びに行く。
かーさんの作る食事を、3人で会話しながら食べる彼ら。その横で、着せ替え人形遊びをしていた私。
受け入れていたんだな、あの頃の我が家はこんな風に。

