Bitter Cafe
苦くて渋くて辛くて酸っぱい日記
やや不謹慎だなと思いながらも・・・
今日はご近所の87歳で亡くなった方の告別式に参列した。
人の集まる回想の場というのは、様々な言葉や思いが飛び交う。
当然ながら、参列者特にご近所さんは高齢者が多い。
始まるまでの会話
どこそこの誰それは、何とかの里らしい。この辺は、お金を出せばそこが多いらしい。
という、介護施設の話がほとんど。
そこに加わるある人・・・・
エピソード1
ごく普通の高齢者(女性)
この方は、2人の子を持つ母である。
そのうちの娘は、私より一つ下。ということで、中学の参観日などは、この母が学校に来るとすぐに見つけられる。なぜなら原色の派手な装いで、どこにいても目立ったから。
日常的に、自分を「俺」と言い、相手を「お前」あるいは、苗字呼び捨てという、何をしても目立つ人で、夜の外出も多かった。それに対してご主人は、油にまみれて自宅で自転車修理業を営む。
私が大学生の時、息子がくも膜下出血で倒れ1週間ほどの闘病の後亡くなった。いつものように母親が出歩いていて発見が遅くなったということだった。といってもうちのかーさんの話であり、いつも家にいたはずの父親がどうだったのかは不明。
そして、この母は、これを境に、着飾ることも化粧をすることもなくなり、今に至る。
この母の子でありながら娘は非常に大人しく地味な人で、私同様未婚。亡くなった息子も近所でも評判の良い子供だった。
エピソード2
今日の葬儀は、お経も非常に丁寧で、長い。故人の回顧は、僧侶の読経の中にあった。
「1女の子宝にも恵まれ・・・」
この一言を、参列者が特別な気持ちで聞く。
ここにいる「1女」であり施主である娘は、故人の子供ではない。そして、少なくとも、成人するまで、娘はそれを知らなかった。
養女ではなく、関係者との話し合いのもと、どこぞの双子の一人を譲り受け実子として届けられた。故人らは、いずれ自分たちが亡くなった後のことを考え、本当の両親のことを話して、何かの力になってもらうべきかを思案していた時期もあった。ゆえに、今、この家族がどういう認識で成り立っているかはわからない。少なくとも、娘がこの家にやって来た時から、この事実は近所でもよく知られていた。故人の妻は、なんでも口に出して、時に、人の怒りや反感を買うタイプだったので、よくこれらの秘密が悪意を持って娘に伝わることもなく、守られていたなと思うこともあった。
娘は、私が大学生の頃、一時的に家庭教師をさせていただいた。どちらかというと勉強より男の子に熱心で、時々見かける男子と女子の前で声色が変わるタイプであり、お遊びも充実していた様子。ゆえに、本日の、ご近所ネタとしては「あの〇〇ちゃんが、お母さんになったんだねぇ」
最近珍しくなった着物で登場。老けてでっぷりして迫力があった。
棺に花を納める準備がなされる間の会話。
今日は、〇〇さんは来てないけど。
お通夜にはいたけどね。
隣組だよね、だったら2日とも出るべきだよね。●●さんもいないね。まったく常識ってものがないんだよね。
介護施設の話が主流の年配者は、たとえ葬祭場ですべてが賄われようと、関係が希薄になろうと、代替わりが進もうと、これが隣組の常識であり、私もこの人たちからしたら、若輩者なので、いつどこで「常識がない」と言われているかわからないなと思う。
ここで常識がないとされた〇〇さんは、うちのかーさんが「非常に嫌な一族」と称していた家の嫁で、同様に「嫌な嫁」と言っていた。ただ、この人は、偶然、私の前の職場にパソコンを習いに来ていて親しくなり、私の誘いに乗って同じピアノ教室に通うようになり、同じ発表会にも出ている。まぁ全面的に「いい人」とは言えないところもあるけど(私に言われたくはないか)、極端に「悪い人」でもない気がする。ただし、町内の付き合いには、私以上に希薄な人だから、言われても仕方がないと言えば仕方がない。
そして私とその母
前述故人の娘のさらに一人娘。つまり故人の孫(正確には血縁関係にはない)は、中高一貫こてこてのお嬢様校に通っているらしい。中学生か高校生かは不明。
かーさんがこれを見たらきっと、直接的ではないものの、この家族としては、不釣合いだと言って「やきもち」を焼くだろう。かーさんは、それに気づいていないかもしれないけど、人の家族を批判しているときは、「やきもち」がほとんどだった。
あえて、やきもち焼きの母を持つ娘の私としては、
中学生か高校生かの彼女が読んだ個人への手紙は、稚拙で、涙を誘うこともなく、その歳で「じぃじ」はないよなぁと思った。
更に施主である娘の夫の挨拶は、葬祭場の文案通りだった。私は、おとーさんの葬儀の時、葬祭場文案では伝わらないことだらけだったので、担当の人から「暗記して途中でつかえるより、文章を読んだ方が伝わる」という言葉に従って、一晩かけて考えて書いたっけな。
ちなみに、かーさんの時、おとーさんは私の知らないところで一生懸命作文書いて、読んでたけど、親族挨拶の叔父は、「ちゃんと考えてある」はずが「文案」を読んだ。そーいうやつだよなおっさん。
葬儀を終えて。
夕方、故人の妻と娘が、残ったからとお料理を持ってきてくださった。
着物だった娘は、洋服になって、ずいぶん若くなった。母が着物ではないのに、なぜ彼女は見栄えの良くない着物を選んだのか。
人が見ておもしろいかどうかというより、覚書にしたいような、私的には話題と思い出の宝庫であった。
今日はご近所の87歳で亡くなった方の告別式に参列した。
人の集まる回想の場というのは、様々な言葉や思いが飛び交う。
当然ながら、参列者特にご近所さんは高齢者が多い。
始まるまでの会話
どこそこの誰それは、何とかの里らしい。この辺は、お金を出せばそこが多いらしい。
という、介護施設の話がほとんど。
そこに加わるある人・・・・
エピソード1
ごく普通の高齢者(女性)
この方は、2人の子を持つ母である。
そのうちの娘は、私より一つ下。ということで、中学の参観日などは、この母が学校に来るとすぐに見つけられる。なぜなら原色の派手な装いで、どこにいても目立ったから。
日常的に、自分を「俺」と言い、相手を「お前」あるいは、苗字呼び捨てという、何をしても目立つ人で、夜の外出も多かった。それに対してご主人は、油にまみれて自宅で自転車修理業を営む。
私が大学生の時、息子がくも膜下出血で倒れ1週間ほどの闘病の後亡くなった。いつものように母親が出歩いていて発見が遅くなったということだった。といってもうちのかーさんの話であり、いつも家にいたはずの父親がどうだったのかは不明。
そして、この母は、これを境に、着飾ることも化粧をすることもなくなり、今に至る。
この母の子でありながら娘は非常に大人しく地味な人で、私同様未婚。亡くなった息子も近所でも評判の良い子供だった。
エピソード2
今日の葬儀は、お経も非常に丁寧で、長い。故人の回顧は、僧侶の読経の中にあった。
「1女の子宝にも恵まれ・・・」
この一言を、参列者が特別な気持ちで聞く。
ここにいる「1女」であり施主である娘は、故人の子供ではない。そして、少なくとも、成人するまで、娘はそれを知らなかった。
養女ではなく、関係者との話し合いのもと、どこぞの双子の一人を譲り受け実子として届けられた。故人らは、いずれ自分たちが亡くなった後のことを考え、本当の両親のことを話して、何かの力になってもらうべきかを思案していた時期もあった。ゆえに、今、この家族がどういう認識で成り立っているかはわからない。少なくとも、娘がこの家にやって来た時から、この事実は近所でもよく知られていた。故人の妻は、なんでも口に出して、時に、人の怒りや反感を買うタイプだったので、よくこれらの秘密が悪意を持って娘に伝わることもなく、守られていたなと思うこともあった。
娘は、私が大学生の頃、一時的に家庭教師をさせていただいた。どちらかというと勉強より男の子に熱心で、時々見かける男子と女子の前で声色が変わるタイプであり、お遊びも充実していた様子。ゆえに、本日の、ご近所ネタとしては「あの〇〇ちゃんが、お母さんになったんだねぇ」
最近珍しくなった着物で登場。老けてでっぷりして迫力があった。
棺に花を納める準備がなされる間の会話。
今日は、〇〇さんは来てないけど。
お通夜にはいたけどね。
隣組だよね、だったら2日とも出るべきだよね。●●さんもいないね。まったく常識ってものがないんだよね。
介護施設の話が主流の年配者は、たとえ葬祭場ですべてが賄われようと、関係が希薄になろうと、代替わりが進もうと、これが隣組の常識であり、私もこの人たちからしたら、若輩者なので、いつどこで「常識がない」と言われているかわからないなと思う。
ここで常識がないとされた〇〇さんは、うちのかーさんが「非常に嫌な一族」と称していた家の嫁で、同様に「嫌な嫁」と言っていた。ただ、この人は、偶然、私の前の職場にパソコンを習いに来ていて親しくなり、私の誘いに乗って同じピアノ教室に通うようになり、同じ発表会にも出ている。まぁ全面的に「いい人」とは言えないところもあるけど(私に言われたくはないか)、極端に「悪い人」でもない気がする。ただし、町内の付き合いには、私以上に希薄な人だから、言われても仕方がないと言えば仕方がない。
そして私とその母
前述故人の娘のさらに一人娘。つまり故人の孫(正確には血縁関係にはない)は、中高一貫こてこてのお嬢様校に通っているらしい。中学生か高校生かは不明。
かーさんがこれを見たらきっと、直接的ではないものの、この家族としては、不釣合いだと言って「やきもち」を焼くだろう。かーさんは、それに気づいていないかもしれないけど、人の家族を批判しているときは、「やきもち」がほとんどだった。
あえて、やきもち焼きの母を持つ娘の私としては、
中学生か高校生かの彼女が読んだ個人への手紙は、稚拙で、涙を誘うこともなく、その歳で「じぃじ」はないよなぁと思った。
更に施主である娘の夫の挨拶は、葬祭場の文案通りだった。私は、おとーさんの葬儀の時、葬祭場文案では伝わらないことだらけだったので、担当の人から「暗記して途中でつかえるより、文章を読んだ方が伝わる」という言葉に従って、一晩かけて考えて書いたっけな。
ちなみに、かーさんの時、おとーさんは私の知らないところで一生懸命作文書いて、読んでたけど、親族挨拶の叔父は、「ちゃんと考えてある」はずが「文案」を読んだ。そーいうやつだよなおっさん。
葬儀を終えて。
夕方、故人の妻と娘が、残ったからとお料理を持ってきてくださった。
着物だった娘は、洋服になって、ずいぶん若くなった。母が着物ではないのに、なぜ彼女は見栄えの良くない着物を選んだのか。
人が見ておもしろいかどうかというより、覚書にしたいような、私的には話題と思い出の宝庫であった。
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