Bitter Cafe
苦くて渋くて辛くて酸っぱい日記
小学生のころ、タイムカプセルに思い出の品を入れてグラウンドに埋めるというニュースを時々見た。
うちの学校は、そんなことはやっていなかったので、ちょっとうらやましい気もしたけど、10年後に、みんなで集まって開くと聞いて、10年は、気が遠くなるほど長い期間のような気がした。
やがて自分にとっての10年が経ち、みんなで懐かしんでいるニュースを見ることもあった。この人たちは、10年待ったんだなぁと思った。
気が遠くなるような10年。
私は、そんな10年という単位を、何度も越えてしまった。
10年が長くて、とても短いものだと感じるようになった。
経験値がそうさせるのか、周りの風景の流れ方が早いのか。
何度かの10年を越えて、今年も誕生日を迎えることができた。
迎えたくないけど迎えられる幸運。
職場の人間関係が変わって初めての年。
数週間前に私の誕生日が知れ、時々いらっしゃる高齢のエリアマネージャーが、ホワイトボードに、私の誕生日を記しておいてくださった。恐れ多いことだ。
そんなこんなもあって、今日は休みだったけれど、ケーキを買ってくださった方があるというので、取りに行った。
ケーキの箱が傾かないようにと、紙袋にお菓子が次々投げ込まれ、固定された。
祝っていただける、迎えたことを意識できる誕生日もだんだん少なくなっていくのだろう。
実体はない、気持ちだけ詰め込んだ10年後に開くタイムカプセルは、あと何回開くことができるんだろう。
そのたびに、感謝しよう。自分の体、そして私を思ってくださる人たちに。
来年の私も、同じ私でありますように。
うちの学校は、そんなことはやっていなかったので、ちょっとうらやましい気もしたけど、10年後に、みんなで集まって開くと聞いて、10年は、気が遠くなるほど長い期間のような気がした。
やがて自分にとっての10年が経ち、みんなで懐かしんでいるニュースを見ることもあった。この人たちは、10年待ったんだなぁと思った。
気が遠くなるような10年。
私は、そんな10年という単位を、何度も越えてしまった。
10年が長くて、とても短いものだと感じるようになった。
経験値がそうさせるのか、周りの風景の流れ方が早いのか。
何度かの10年を越えて、今年も誕生日を迎えることができた。
迎えたくないけど迎えられる幸運。
職場の人間関係が変わって初めての年。
数週間前に私の誕生日が知れ、時々いらっしゃる高齢のエリアマネージャーが、ホワイトボードに、私の誕生日を記しておいてくださった。恐れ多いことだ。
そんなこんなもあって、今日は休みだったけれど、ケーキを買ってくださった方があるというので、取りに行った。
ケーキの箱が傾かないようにと、紙袋にお菓子が次々投げ込まれ、固定された。
祝っていただける、迎えたことを意識できる誕生日もだんだん少なくなっていくのだろう。
実体はない、気持ちだけ詰め込んだ10年後に開くタイムカプセルは、あと何回開くことができるんだろう。
そのたびに、感謝しよう。自分の体、そして私を思ってくださる人たちに。
来年の私も、同じ私でありますように。
ワタクシ、本年度町内の組長を務めさせていただいております。
本日は、運動会のプログラムがポストに入っていたので、回覧板につけて、1枚ずつ取ってもらうのでも問題はないものの、夜、走りに行く前に、各家庭のポストに配布して回った。
アパート3世帯にのうち1件のポストに、
「郵便物以外、お断り願います」という、日本語不自由な張り紙があり、毎回ここで、「これは郵便物ではないなぁ」と思うものの、本日も、投函した。
隣の戸建てに配布して、折り返したら、この日本語不自由一家の親父が外に出て、プログラムをもって立っていた。
私が、こんばんはとあいさつすると、怖い声で、
「ほら」とプログラムを突き出す。
「いらないんですか?」
と尋ねたら、不自由な日本語の張り紙を指して、「ここに書いてあるだろ」という。
「お断りします」でも「お断りいたします」でもなく、「お断り願います」では、通じませんとも言えず、
「私、組長です。町内のお知らせです。運動会ですよ」
というと、
「え?」といって、暗い中、プログラムを開く。
何も、確認しないまま、「郵便物以外」が配布されたので、飛び出してきて、文句言いたかったのだろうけど、残念でした。
「あっごめんなさい」
素直だ。
私も調子に乗って「日本語不自由ですね」ということなく「はい」といって、他の家に配布して回った。
本日は、運動会のプログラムがポストに入っていたので、回覧板につけて、1枚ずつ取ってもらうのでも問題はないものの、夜、走りに行く前に、各家庭のポストに配布して回った。
アパート3世帯にのうち1件のポストに、
「郵便物以外、お断り願います」という、日本語不自由な張り紙があり、毎回ここで、「これは郵便物ではないなぁ」と思うものの、本日も、投函した。
隣の戸建てに配布して、折り返したら、この日本語不自由一家の親父が外に出て、プログラムをもって立っていた。
私が、こんばんはとあいさつすると、怖い声で、
「ほら」とプログラムを突き出す。
「いらないんですか?」
と尋ねたら、不自由な日本語の張り紙を指して、「ここに書いてあるだろ」という。
「お断りします」でも「お断りいたします」でもなく、「お断り願います」では、通じませんとも言えず、
「私、組長です。町内のお知らせです。運動会ですよ」
というと、
「え?」といって、暗い中、プログラムを開く。
何も、確認しないまま、「郵便物以外」が配布されたので、飛び出してきて、文句言いたかったのだろうけど、残念でした。
「あっごめんなさい」
素直だ。
私も調子に乗って「日本語不自由ですね」ということなく「はい」といって、他の家に配布して回った。

