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Bitter Cafe

苦くて渋くて辛くて酸っぱい日記

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ものすごくガツガツではないけど、ネットの評価とか、書店で見たイメージで、よく文庫本を買って、積んである。
以前は、結構、ハラハラするようなのも読んでいたけど、最近は、その手の内容はストレスがたまるようになってきたので、できるだけおだやかなものを好むようになってきた。
最近、ほっとするような気持ちで読めたのが椰月美智子著「しずかな日々」児童文学である。
何もない、特に、大きな事件は起きない。ただ、子供たちの楽しさが伝わってきて、思い出して、楽しくなる。そんな感じ。
大人になった主人公が、負けだとかなんだとかいう評価もあったけど、そんなこたぁどーでもいい。本だもんな。こういう男の子の一片を読ませてもらって、あー楽しかったそれだけでいいじゃないか。本だからさ。まっ負けとか勝ちとかってのもどこで線引きするのかわからないけどね。

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私はそこそこ本が好きだ。
ただし、余程のことがなければ「文庫化」してから読むことにしている。
書店にある文庫というのは、出たばかりの平積みの時は目立つものの、時がたつと棚に収まってしまい、見つけにくくなるので、「読みたい」と思ったときに「買って」、しばらくは積読状態になっている。
読まれることを待っている文庫が結構あるけど、「積読」で終わらず、まちがいなく「読む」ので心配はいらない(だれも心配しないか)。

さて、少し前に、地上波で「ツナグ」が放送された。
新聞のテレビ欄で内容をチェックして、録画をした。
さて見ようかな・・・というところで、積読の中に、この本があることに気付いた。買ったことは忘れていた。
人によって違うだろうけど、通常、私の順番は「本」→「映画」なので、見る前に読まねばならない。ということで、順番待ちしていた他の本を押しのけ、いつもより早いペースで読んだ。

ご存知の方も多いだろうけど、内容は、生きている人と亡くなった人をツナグ、使者の話である。
生きている人が会えるのは、1人だけ。亡くなった人も会えるのは1人だけ。
死者は生者にリクエストはできない。
死者は、生者からリクエストがあっても、他に会いたい人がいれば断ることがある。

そこで、自分を考えた。
私が1人誰かに会えるとしたら、両親どちらかであろう。ここがかなり悩みどころだ。
どちらにせよ会えたら何をしたいか。ひたすら謝りたい。外からはわからなかっただろうけど、私は相当ひどい娘だったし、病気になったかーさんや、一人ぼっちになったおとーさんにとっては「乱暴極まりない娘」だったから。本の中にもあったけど、これは生者のエゴかもしれない。それでも生者は、自分のわだかまりや持て余す気持ちを整理するために死者に会う。その繰り返しなら、それはそれなのかもしれない。生死お互い様だ。
両親以外にも会いたい人がいる。聞きたいこともある・・・これは私にしかわからない疑問だ。
とはいえ、両親以外は、死者にとっての1番にはなれないから、私は遠慮するしかない。先に「とーった」というわけにもいかないし、断られるだろう。

そして考える。

私は、生者の誰からも指名してもらえない。
家族がいないから、誰にとっても順位が低い。

所詮小説の中の話だ。そうは思うけど、やっぱりね。
さて、次の本を読もう。

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重松清さんの「あの歌がきこえる」を読んだ。
男子高校生だったけど、女子でも「あの頃」な感じが共通項で、ほーーっとした気持ちで読み終えた。
たまーに違うのを混ぜるけど、この頃、山あり谷ありというより、こんなノスタルジックで、ゆったりなのが好きだ。
自分が遠い目をしているような気がする。
歳取ったんだなと思う。

別件
月曜日にお風呂に行って、お昼前に体重を計ったら、久しぶりに見る数字だった。
やっぱり痩せていた。
さらにお昼を食べてからもう1回計ったけど、それでも痩せていた。
体脂肪も比例して少なくなっていた。
みんなに言われた通りだと思った。
家に帰って、メジャーで腹周りを計ってみた。
いつもの見慣れた数字だった。
なんだなんだなんだなんだっ。

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カレンダーボーイという一言で言うとタイムトラベラー小説を読み終えた。
48歳の男性2人が目覚めるたびに現在と子供の頃とを行き来する。
子供の頃と言っても気持ちは48歳のままという話。
彼らは当時あった不幸な出来事をいくつか変える。つまり過去を変える。
その結果、時間のひずみとやらがあって、結果的に「今」が変わってしまう。
ここまで読めばだいたいみんな考えるのではないかと思うこと・・・自分が変えたいと思う過去は何だろう。
ながーく考えればキリがないほど出てくるのだろうけど、短く考えるとやっぱり近い過去や身内の出来事が出てくる。
もっとも古いのは、かーさんの事。かーさんの病気を手遅れになる前に発見して、無能な医者に何と言われようと、検査を受けさせているだろうなと思う。悪性ではないからと検査しないと言ったら殴る。
そして高校時代の親友まりこをはじめ、自分が関わってきた人たち、もっともっと長く生きて欲しかった人たちに病気に関する助言をする。
さらにずっと悲鳴を上げていたおとーさんの心臓と血管のもろさに自ら気付く。もしそれでも間に合わない結果になるようだったら、おとーさんの最期に親族が間に合わなくても平気なツラをしていた伊藤という医者にもう1回会ってあばら骨を折って、脳みそカチ割る。

こんな命にかかわることばっかりだ。
小説では、時間のひずみによって起こる出来事は「関連性」を見つけにくいけど、素人考えの私からすると、もしかーさんが長生きしていたら、「好きな人」との思い出も無になっていて、夜は帰りが遅くなると「寝ないで待っているかーさん」のために神経をすり減らし、そして、おとーさんが生きていたら、これからの10年余を介護にささげていただろうという、まぁまさに直結する結果のみ。

仕事のやり直しとか、恋愛のやり直しとか、結婚とか、生きていることが前提に考えることがなくなっているなぁと思う。
自分の親でも、「人が死んじゃうの見るの怖い」と言って、最期をみとらなかった知り合いがいたけど、彼女のやり直しにこれはふくまれないのだろうか。

この小説の結末は、1人が現在に戻り、そこで一緒に過去を変えることに懸命になっていたもう1人の記憶からそれらが消え、その1人は、子供の頃にとどまり、自分がすでに生きてきた年月を忘れて子供から生き直すことになる。
子供からって2度の人生羨ましい・・・これが切ないんだな。
なんでも考えてしまう私は、夜寝る前に最後まで読むのは避ければよかったなと後悔するような重さを感じたのであった。

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海の見える職場の帰りに電車に乗っていたら、
外国の人が、若い男の子に乗り継ぎ電車の事を質問していた。
男の子は、
「僕もそれに乗るから一緒に行きましょう」
と答えた。
外国の人は、
「あと2分だけど間に合いますか」
と聞いた。
男の子は一瞬ひるんだけど、階段に近いドアを指して、
「あっちから降りましょう」
と、外国の人を連れて行った。
外国の人は不安そうな顔で、
「お願いします」
とついて行った。
間に合うといいと思った。

「阪急電車」を読み終えた。
もっとたくさんいろんな話がつながればいいと思うくらい、ほのぼのして楽しかった。

数年前、従弟の結婚式で、東京に行ったら、台風で電車が止まってしまった。
行き先の決まっていない電車に乗って待っていたら、外国の人が乗ってきて、
「こーれ、かわさーき、行きますかぁ?」
と聞いてきたけど、答えようがなかった。

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