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Bitter Cafe

苦くて渋くて辛くて酸っぱい日記

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いつもの職場を離れたところで仕事をして、帰りに夕飯の買い物をしていたら、いつもの職場でパソコンを勉強している人に会った。
人柄の良い人で、ご主人を7年前に亡くしたと前に本人から聞いたことがあった。
そして今日、突如、
「私は主人を亡くして生きていられたのは・・」
で始まりなんとかかんとかというお寺のなんとか会というのを勧めてきた。
もう夕方だというのに話が止まらない。
いついつのお昼から集まりがあってと言われた時には、仕事の関係もあって、強くは出られないものの、やんわりことわろうと考ら、
「運命は変えられる」
という話が出てきた。

私が「運命」ってものを意識したのは、高校生の時だった。
別に人の生死にかかわるような大きな話ではなく、仲のいい友達とのいろんなことについてという程度の幼稚なものだった。
その後、かーさんが病気になって、今まで「運命論」をバカにしていたおとーさんが、「運命」を口にするようになった。
おとーさんって、それまで運命云々考えることもなく、本当に順風満帆で来た人なんだなとこのとき思った。
悪いことが起きると「運命」だと思い、すごくいい方向に何かが動くと、あんまりそれを意識しない。
「運命は変えられる」と思うのは、「運命を意識するよう」に説教された人が、いい結果を得た時にそう思うことで、それ以外の人は「私の運命ってとてもいいらしい」とは考えず、「ラッキー」と思って通り過ぎて行く。
「子供があやうく事故に合いそうになったときに、ちょっとしたことで助けられた」という話をそのお寺の人にしたら「運命が変わった」と言われたらしい。
思いようで、それによって「そうか、私の運命は変えられるんだ」と思ってがんばれるのかもしれない。
私は、いいことがあってもどーしようもないことでも、変えられた運命ではなく、自分で変えた運命でもなく、もともとの運命と思って生きていくんだろなと思う。
助けてもらいたいことは山ほどある。でもそれは、もっとメンタル面の根本的な癒しだったり、あるいは表面的なさりげない会話から得られるものだ。
ということで、「運命は変えられる」が出てきたところで、
「申し訳ないけど、私そういうのあんまり影響される方ではないので」
といってお断りした。

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