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Bitter Cafe

苦くて渋くて辛くて酸っぱい日記

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私は、自分のやっていることをあまり肯定できない。
かーさんが亡くなった時も、どうして自分はこうだったんだろうと山ほど考えた。
最期の一夜は、病室に泊まった。
しんどい一夜だった。第一かーさんは他の人には笑顔を見せても、私には絶対笑わなかった。
乾いた瞳で見返され、すべて見抜かれているような気がしていた。
最期をみとると、誰もが、悔いを残すものだからと言われても、自分のやってきたことは本当に「反省」や「後悔」だけでは済まされないことのように思っていた。

おとーさんに関してはその3倍くらい後悔した。
なんといっても、「やさしくできない娘」だったからだ。
気が弱くなり、ボケて、生活に自信もなくなっていたおとーさんにとって、私は頼るべき唯一の肉親だった。
その肉親に毎日「怒られ」「当たり散らされ」びくびくしながら生きているのがわかった。
そして、娘は反省した・・・反省だけならいくらでもできるのだ。猿でも猿じゃなくても。

今日、私からの喪中はがきを受け取った大学時代の友達から電話をもらった。
彼女のおかーさんは、2月に病気で亡くなっていた。
私は、おとーさんの最期に間に合わず、医者とケンカしたと言う話をした。
でも、彼女の話を聞いていて、医者にとって、私みたいな患者の家族の方がレアだったのかもしれないと思った。
彼女は、お母さんが危篤だと、病院から連絡を受けても、
「寒かったし、人が死ぬのを見るのが怖いから」
と行かなかった。
彼女の妹は「旅行」に行っていた。

「寒がり」で「怖がり」な娘にみとられず逝ったお母さん。

そして、おとーさんは「有料ホーム」にいるらしい。
おとーさんからリクエストがあって、「会いに行かなきゃならない」と面倒臭そうに言っていた。
公共の墓地でお寺がないことと、2月は寒いから、おかーさんの法要は、四十九日だけで、それ以降は何もしないらしい。

葬儀も法事も、残された家族の慰めにすぎない。でも・・・

以前、ご主人のお父様を看取った方を前に、自分の両親をすべてお嫁さんに任せていた人たちが、
「かわいそうなのは、亡くなった本人よねぇやっぱり」
と言っているのを聞いて、それを言うのは、あなたたちじゃないと思った。

これらを聞いて、自分のこれまでを肯定するのは早計過ぎる。
人からは、
「おとーさんは、最期まで娘さんと一緒にいられて幸せだったのよ」
と言われても、こんな娘と生活して幸せなはずがないと今でも思う。

でも、私は相手を想像することだけはしてきた。
ひどいことを言って傷つけ、しょんぼりしているおとーさんに対して、謝ることもできなかった娘だけど・・。

四十九日前、錯覚のように聞こえたおとーさんの足音や鼻をすする音。
仏様になったんだから、もうないだろうなと、なんとなく思う。
法要って家族にとってはそれらのけじめ。
そして贖罪。

おとーさん、私でよかったのかな?
最期に会えなくて、本当に、本当に、ごめんね。

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