Bitter Cafe
苦くて渋くて辛くて酸っぱい日記
ピアノの先生は、大学は歌専攻だったらしい。
でも、この先生の前に私の担当だった男の先生(オカマ先生と私は呼んでいた)は、発声法から声楽家とは思えないと、いつもの女口調で言っていた。
でも、先生はよく歌のコンサートに出ている。
今日は先生が参加している歌グループのレストランコンサートに行った。
本当は面倒くさくて行きたくなかったけど、同じピアノ教室の人に誘われたので、仕方なく行くことになった。
さらに、他の若い出演者が、大雑把にチケットを売っていて定員を派手にオーバーしているから、自分の客の席は確保するつもりだけど、大混雑するはずだから、入れそうな時間に来てくれと言われた。
チケットを売った若い出演者は、階段にテーブルを置くだのありえないことを言っているとも聞いた。
そして当日、強風の中並んで、非常に手際の悪い受付で、さんざん待たされて、中に入ったら、椅子が並んでいて、先生が確かに私たちの席は確保してくれたけど、テーブルは全くない。
客はどんどん入ってきて、階段にも座っている。
バイキングといっても種類の少ない料理を一皿に盛って、それを持ったまま食べる。
狭い通路を人をかき分けてまた皿を持って料理を取りに行く。置く場所がないから、飲み物はまた別。
立食できるかといえば、椅子がきっちり並んでいるからそれもできない。ちょうど私の後ろに先生の友達でもある仮住まいの大家の息子さん夫婦がいた。
奥さんが、
「こーいう時は、先に一皿みんなに配って、その後取りに行けばいいのよ」を繰り返し主張していた。
コンサートは、地元にとどまって歌うならここしかないんだよねという短大の音楽専攻の出演者がほとんどで、パンフレットによるとみんな、ミュージカルなんのかんのに出演しの、大学のなんとかの賞を受賞しのと書いてあるけど、こんな歌でミュージカルに出られるなら、あるいは賞が取れるなら、私の演歌のほうがよほどマシと思える情けない出演者もいた。単にここを主宰する人に習っただけで専門教育は受けてないけどという人もいたけど、教育を受けた人よりうまかった。声楽専攻とは思えないと人から言われている私の先生もうまいほうだった。
その中にゲストとして、レベルの突出した過去に劇団四〇に在籍していた人が混ざっていた。
この人がいなかったら「なんだこいつら」という感じである。
それでもゲストの存在が物をいい、それなりのコンサートになっていた。
後ろであれこれ言っていた大家の息子の奥さんも、
「人数はあれだけど、内容はお金以上」という単純な評価をしていた。
店で鍋振っていた人が、厨房から歌に参加してこれは結構受けていた。十分うまかった。私はこーいうのがなんか好きだ。
最後に主催者が、大混雑をわび、ここまで人数を入れたのは、収益金を震災義援金にするからというようなことを言った。
そういわれて、だからなんだ?と思ってはいけないのか。なんでも義援金だと言えば許されるのか。
何ごともなかったから言えるけど、この店は地下にある。
そこに階段まで人間を詰め込んで、中は椅子だらけ。これで問題がないと思うこと自体おかしい。
火災が発生して、とんでもないことになっても言えるだろうか。
「私たちは義援金を送りたかったから、人数を集めて詰め込んで、何かあって自分たちが犠牲になってもよかったのです」
なんてね。
結論、歌もぼちぼちなんだから、もう少し一般常識を勉強して、頭のいいコンサートをしましょう。
でも、この先生の前に私の担当だった男の先生(オカマ先生と私は呼んでいた)は、発声法から声楽家とは思えないと、いつもの女口調で言っていた。
でも、先生はよく歌のコンサートに出ている。
今日は先生が参加している歌グループのレストランコンサートに行った。
本当は面倒くさくて行きたくなかったけど、同じピアノ教室の人に誘われたので、仕方なく行くことになった。
さらに、他の若い出演者が、大雑把にチケットを売っていて定員を派手にオーバーしているから、自分の客の席は確保するつもりだけど、大混雑するはずだから、入れそうな時間に来てくれと言われた。
チケットを売った若い出演者は、階段にテーブルを置くだのありえないことを言っているとも聞いた。
そして当日、強風の中並んで、非常に手際の悪い受付で、さんざん待たされて、中に入ったら、椅子が並んでいて、先生が確かに私たちの席は確保してくれたけど、テーブルは全くない。
客はどんどん入ってきて、階段にも座っている。
バイキングといっても種類の少ない料理を一皿に盛って、それを持ったまま食べる。
狭い通路を人をかき分けてまた皿を持って料理を取りに行く。置く場所がないから、飲み物はまた別。
立食できるかといえば、椅子がきっちり並んでいるからそれもできない。ちょうど私の後ろに先生の友達でもある仮住まいの大家の息子さん夫婦がいた。
奥さんが、
「こーいう時は、先に一皿みんなに配って、その後取りに行けばいいのよ」を繰り返し主張していた。
コンサートは、地元にとどまって歌うならここしかないんだよねという短大の音楽専攻の出演者がほとんどで、パンフレットによるとみんな、ミュージカルなんのかんのに出演しの、大学のなんとかの賞を受賞しのと書いてあるけど、こんな歌でミュージカルに出られるなら、あるいは賞が取れるなら、私の演歌のほうがよほどマシと思える情けない出演者もいた。単にここを主宰する人に習っただけで専門教育は受けてないけどという人もいたけど、教育を受けた人よりうまかった。声楽専攻とは思えないと人から言われている私の先生もうまいほうだった。
その中にゲストとして、レベルの突出した過去に劇団四〇に在籍していた人が混ざっていた。
この人がいなかったら「なんだこいつら」という感じである。
それでもゲストの存在が物をいい、それなりのコンサートになっていた。
後ろであれこれ言っていた大家の息子の奥さんも、
「人数はあれだけど、内容はお金以上」という単純な評価をしていた。
店で鍋振っていた人が、厨房から歌に参加してこれは結構受けていた。十分うまかった。私はこーいうのがなんか好きだ。
最後に主催者が、大混雑をわび、ここまで人数を入れたのは、収益金を震災義援金にするからというようなことを言った。
そういわれて、だからなんだ?と思ってはいけないのか。なんでも義援金だと言えば許されるのか。
何ごともなかったから言えるけど、この店は地下にある。
そこに階段まで人間を詰め込んで、中は椅子だらけ。これで問題がないと思うこと自体おかしい。
火災が発生して、とんでもないことになっても言えるだろうか。
「私たちは義援金を送りたかったから、人数を集めて詰め込んで、何かあって自分たちが犠牲になってもよかったのです」
なんてね。
結論、歌もぼちぼちなんだから、もう少し一般常識を勉強して、頭のいいコンサートをしましょう。
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