Bitter Cafe
苦くて渋くて辛くて酸っぱい日記
もうずいぶん昔の話だけど、町内の同じ地域で、くも膜下出血で次々人が亡くなったことがある。
その中の一人は男子中学生だった。
私はその頃大学生で、地元にいなかったので、その話は、うちのかーさんから聞いた。
この家は、自転車販売店で、とても大人しいご主人がいつも油まみれで自転車の修理をしていた。私より一つ下のこれまたおとなしい姉と、野球部の弟の2人姉弟、そして、1人だけ異彩を放つ奥さんがいた。
学年に1人いるかいないかだと思うけど、参観日というと原色のド派手なスタイルでやってくるお母さん。まさにここの奥さんはそれだった。いつも一番目立っていた。
酔っぱらうと、自分のことを「オレ」と言い、相手を「おまえ」と呼ぶ人だった。決して悪い人ではないのだけど・・・。
奥さんは、いつも出歩いていた。そして、奥さんが留守の時に、息子が倒れていた。
発見が遅れたからか、そうでなくても同じ結果だったのかはわからないものの、入院から数日で彼は亡くなった。
その後、奥さんは、化粧を全くしなくなり、身なりも地味になった。どうしても化粧をする気になれないということだった。
自転車屋も閉店し、やがてご主人が亡くなった。
最近は、あまりこの奥さんと顔をあわせることがなかった。すぐ近くなのに不思議なことだ。
ただ、町内の方の葬式の時に一緒になった。当然だけど、喪服だったから、普段はどんなものかわからなかった。歳を取っておばあさんになっていた。
そして今日、遠くから歩いてくるまだ顔の判別ができない人が、奥さんだと分かった。
なぜなら、頭にスカーフを巻いて、全身原色柄物だったから。昔々の趣味そのものだったから。
はたして、息子亡き後もこういうスタイルだったのだろうか。メイクはしなくても柄々だったのだろうか。
その辺は、定かではないものの、私は、この原色柄々スタイルを見て、なんだかほっとした。
その中の一人は男子中学生だった。
私はその頃大学生で、地元にいなかったので、その話は、うちのかーさんから聞いた。
この家は、自転車販売店で、とても大人しいご主人がいつも油まみれで自転車の修理をしていた。私より一つ下のこれまたおとなしい姉と、野球部の弟の2人姉弟、そして、1人だけ異彩を放つ奥さんがいた。
学年に1人いるかいないかだと思うけど、参観日というと原色のド派手なスタイルでやってくるお母さん。まさにここの奥さんはそれだった。いつも一番目立っていた。
酔っぱらうと、自分のことを「オレ」と言い、相手を「おまえ」と呼ぶ人だった。決して悪い人ではないのだけど・・・。
奥さんは、いつも出歩いていた。そして、奥さんが留守の時に、息子が倒れていた。
発見が遅れたからか、そうでなくても同じ結果だったのかはわからないものの、入院から数日で彼は亡くなった。
その後、奥さんは、化粧を全くしなくなり、身なりも地味になった。どうしても化粧をする気になれないということだった。
自転車屋も閉店し、やがてご主人が亡くなった。
最近は、あまりこの奥さんと顔をあわせることがなかった。すぐ近くなのに不思議なことだ。
ただ、町内の方の葬式の時に一緒になった。当然だけど、喪服だったから、普段はどんなものかわからなかった。歳を取っておばあさんになっていた。
そして今日、遠くから歩いてくるまだ顔の判別ができない人が、奥さんだと分かった。
なぜなら、頭にスカーフを巻いて、全身原色柄物だったから。昔々の趣味そのものだったから。
はたして、息子亡き後もこういうスタイルだったのだろうか。メイクはしなくても柄々だったのだろうか。
その辺は、定かではないものの、私は、この原色柄々スタイルを見て、なんだかほっとした。
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