Bitter Cafe
苦くて渋くて辛くて酸っぱい日記
自分が家を建てた工務店のHPを見て、いつも間違いさがしをしていた。いや、間違いさがしではない。続かないスタッフがいるから、いなくなったやつを見つけて「あっ、減った。誰だろう」という辞めたやつさがし。
5年経ったところで、すでに、設計とエクステリア担当がいなかった。メンテナンス担当は、定年でいなくなった。営業と現場監督は残っていた。
若干気になることがあった。
この会社、部だの課だの、やたら作って、それに長を付けて役付きにしている。部はあってその下に課はなくても課長がいたり。
私の営業担当は、以前結構な役がついていた。それが、次第に削り取られ、最近は何もないただの営業になっていた。新卒4年目が店長で、その下に彼がいた。
現場監督も、支店レベルの責任者で、この支店ができた時は、代表として挨拶する写真を見たこともあった。それが、だんだんにその役が少なくなってきて、よく分からない長だけ残っていた。
彼らは、たとえ役がなくても、同じような立場で働いていたのかもしれない。
ただ、人から見たら、役がなくなったら「下がった」というイメージではないのか。
少なくとも、私だったらいやだな。
まぁたとえがあまりに低いけど、ピアノの発表会に出る順番が、今まで中級以上に入っていたものが、初心者レベルの中に入ってしまったとか、逆に、私よりはるかにスキルの高く、いつもトリかその前あたりで、腕前を披露していたのに、私より前に出るようになったりすると、いいのかなと余計なこと思ったりする。まぁ狭い世界で言えばそんな格下げ。
そして、この役のなくなった営業とわからない長だけついた現場監督がいなくなった。
こんなことになるかもしれないとは思っていた。
ただ、言わせていただくなら、この会社「一生のお付き合いの何の」と言いながら、スタッフが毎年交代して、誰とどう付き合えばいいのかわからなくなる。
少なくとも、担当営業は、私の家を勝ち取ったことで、自分の収入になっただろう。
それでも、去る時はだんまりか。
時々、自分は誰よりも熱心だと思っている営業が、誰かが辞めた後「こういう人事的な恥ずかしい部分もさらします。その後はフォローします」的なこと言ってるけど、単に「自分の仕事増えてしまって、困りました」の愚痴をすり替えているようにしか思えなかった。
さて、私とこの会社をつなぐものは家のみ。人は何もなくなった。
何か言うべきか、あのころの私だったら、声高らかだったろうけど。
5年経ったところで、すでに、設計とエクステリア担当がいなかった。メンテナンス担当は、定年でいなくなった。営業と現場監督は残っていた。
若干気になることがあった。
この会社、部だの課だの、やたら作って、それに長を付けて役付きにしている。部はあってその下に課はなくても課長がいたり。
私の営業担当は、以前結構な役がついていた。それが、次第に削り取られ、最近は何もないただの営業になっていた。新卒4年目が店長で、その下に彼がいた。
現場監督も、支店レベルの責任者で、この支店ができた時は、代表として挨拶する写真を見たこともあった。それが、だんだんにその役が少なくなってきて、よく分からない長だけ残っていた。
彼らは、たとえ役がなくても、同じような立場で働いていたのかもしれない。
ただ、人から見たら、役がなくなったら「下がった」というイメージではないのか。
少なくとも、私だったらいやだな。
まぁたとえがあまりに低いけど、ピアノの発表会に出る順番が、今まで中級以上に入っていたものが、初心者レベルの中に入ってしまったとか、逆に、私よりはるかにスキルの高く、いつもトリかその前あたりで、腕前を披露していたのに、私より前に出るようになったりすると、いいのかなと余計なこと思ったりする。まぁ狭い世界で言えばそんな格下げ。
そして、この役のなくなった営業とわからない長だけついた現場監督がいなくなった。
こんなことになるかもしれないとは思っていた。
ただ、言わせていただくなら、この会社「一生のお付き合いの何の」と言いながら、スタッフが毎年交代して、誰とどう付き合えばいいのかわからなくなる。
少なくとも、担当営業は、私の家を勝ち取ったことで、自分の収入になっただろう。
それでも、去る時はだんまりか。
時々、自分は誰よりも熱心だと思っている営業が、誰かが辞めた後「こういう人事的な恥ずかしい部分もさらします。その後はフォローします」的なこと言ってるけど、単に「自分の仕事増えてしまって、困りました」の愚痴をすり替えているようにしか思えなかった。
さて、私とこの会社をつなぐものは家のみ。人は何もなくなった。
何か言うべきか、あのころの私だったら、声高らかだったろうけど。
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