Bitter Cafe
苦くて渋くて辛くて酸っぱい日記
6年前家を建てたときに、依頼した工務店に中途採用の営業研修中の新人がいた。
私の家に関わる営業・現場監督らは、FBにグループを作って、日々やり取りをしていた。
もちろんその中にはちょっとした雑談も含まれていたけど、決して「家」という一本の柱から話がそれることはなく、私は、半年間、ここで質問し、大いに怒り、時に笑った。
直接我が家には関係ないけれど、当時の営業担当が、このグループに新人が参加することの許可を求めてきたので、私は受け入れた。
SNSってやつは、時に独りよがりな写真や近況に対し、むやみやたらに「いいね」することは、よくある。というより、こちらが主だったりするのが「いいね」なんだろう。
ただ、少なくとも、家に関するグループは、読んだことを示す「いいね」であり、この話に加わっていることを証明するものでもあった。
3年目に水漏れしたトクラスのシステムキッチンに設置されたリクシルの水栓云々が、その2年後にまたもれて(正確には、3年目の修理直後から水栓はガタついていた)、今後の保証云々で、ちーとも話が進まず、トクラスの担当が変わらない限り、粘って得することはないと決着を決めた。その時点で、あの当時の新人で、現在この工務店の営業成績1・2争う、現在の私の担当の彼に、一つだけ言っておきたいことがあった。
私の水栓は、「希望通りではなかった」引き渡し間際に、納品が間に合わないというので、仕方なく妥協した。代替案が出ない以上、妥協しなければどうなるかわからなかったから。
にもかかわらず、当時の新人現在の担当は、私が「それでいい」といった以上、たとえ、その時、代替えが出ようと出なかろうと、認めたものは認めた。それ以上も以下もないという。
そりゃそうだろう。ただ、私は、妥協したから、この水栓をどうしろというのではない。交換しろとも言っていない。だって、この水栓だってトクラスと相性が悪ければ漏れるだろう。トクラスのシステムは作りがよくないとリクシルの修理担当が言っていたし。
ただ、間に合わないから仕方なくだという私の気持ちだけは知っておいてもらいたい。当時代替え案を提示しなかったことについて、落ち度があったことだけは認めよというと、今後のことがあるので、それはしないという。
彼は、6年前、人の話を聞くのがうまい男子だった。いい営業になると思った。確かに成績の良い営業マンになった。ただし、このどんなことに対しても「認めない」が、下請け業者からは煙たがられている。
大きな買い物をする人間は、わがままになる。そのすべてを受け入れるわけにはいかないから、「できない」をはっきり言わなければならない。ただ、それを言える人間は、時に勘違いする。
俺は「できない」と言える。
その言えること自体が「美徳」になっていないのか。
私の話を聞きながら、えへらえへら笑う。聞き上手だったはずの彼が。そして、問題を起こして辞めていった私の過去の担当や現場監督を、同じ会社の人間として、上から「そんな人がいましたね」という態度で見下す。同じ会社の人間が言ったことの責任は、自分にはなく、過去に奴が言ったことだからと突き放す。
そして・・・FBであの時、あの中にあなたはいたはないか、水栓の話も読んだではないかと言ったら、「なーんにも読んでないですよあんなの。まだ何にもわかんないときに、無理やりグループに入れられて」ときた。
さすがに、これに対して、私は言った「いくらなんでもそれは外向きに言うべき言葉ではないはず」
ここだけは、認めた。あくまでも「外向きに言ってはいけないこと」として。
つまり、あの時そう思いながら、私が家を見つめ戦っているときに、「なーんもしらね」だったことを自ら披露した。「わかんないままに」機械的に「いいね」しながら。
問題を起こした担当は、辞めて仕方のない非常にまずいことがあったらしい。ただ、私は彼に助けられて家を建てた。少なくとも、今の担当より、マシだった。
当時、こんなやつに、見られながら家を建てていたんだと、改めて思った。
公にこれらを披露してよいと昨日彼が言ったので、文書にしました。
私の家に関わる営業・現場監督らは、FBにグループを作って、日々やり取りをしていた。
もちろんその中にはちょっとした雑談も含まれていたけど、決して「家」という一本の柱から話がそれることはなく、私は、半年間、ここで質問し、大いに怒り、時に笑った。
直接我が家には関係ないけれど、当時の営業担当が、このグループに新人が参加することの許可を求めてきたので、私は受け入れた。
SNSってやつは、時に独りよがりな写真や近況に対し、むやみやたらに「いいね」することは、よくある。というより、こちらが主だったりするのが「いいね」なんだろう。
ただ、少なくとも、家に関するグループは、読んだことを示す「いいね」であり、この話に加わっていることを証明するものでもあった。
3年目に水漏れしたトクラスのシステムキッチンに設置されたリクシルの水栓云々が、その2年後にまたもれて(正確には、3年目の修理直後から水栓はガタついていた)、今後の保証云々で、ちーとも話が進まず、トクラスの担当が変わらない限り、粘って得することはないと決着を決めた。その時点で、あの当時の新人で、現在この工務店の営業成績1・2争う、現在の私の担当の彼に、一つだけ言っておきたいことがあった。
私の水栓は、「希望通りではなかった」引き渡し間際に、納品が間に合わないというので、仕方なく妥協した。代替案が出ない以上、妥協しなければどうなるかわからなかったから。
にもかかわらず、当時の新人現在の担当は、私が「それでいい」といった以上、たとえ、その時、代替えが出ようと出なかろうと、認めたものは認めた。それ以上も以下もないという。
そりゃそうだろう。ただ、私は、妥協したから、この水栓をどうしろというのではない。交換しろとも言っていない。だって、この水栓だってトクラスと相性が悪ければ漏れるだろう。トクラスのシステムは作りがよくないとリクシルの修理担当が言っていたし。
ただ、間に合わないから仕方なくだという私の気持ちだけは知っておいてもらいたい。当時代替え案を提示しなかったことについて、落ち度があったことだけは認めよというと、今後のことがあるので、それはしないという。
彼は、6年前、人の話を聞くのがうまい男子だった。いい営業になると思った。確かに成績の良い営業マンになった。ただし、このどんなことに対しても「認めない」が、下請け業者からは煙たがられている。
大きな買い物をする人間は、わがままになる。そのすべてを受け入れるわけにはいかないから、「できない」をはっきり言わなければならない。ただ、それを言える人間は、時に勘違いする。
俺は「できない」と言える。
その言えること自体が「美徳」になっていないのか。
私の話を聞きながら、えへらえへら笑う。聞き上手だったはずの彼が。そして、問題を起こして辞めていった私の過去の担当や現場監督を、同じ会社の人間として、上から「そんな人がいましたね」という態度で見下す。同じ会社の人間が言ったことの責任は、自分にはなく、過去に奴が言ったことだからと突き放す。
そして・・・FBであの時、あの中にあなたはいたはないか、水栓の話も読んだではないかと言ったら、「なーんにも読んでないですよあんなの。まだ何にもわかんないときに、無理やりグループに入れられて」ときた。
さすがに、これに対して、私は言った「いくらなんでもそれは外向きに言うべき言葉ではないはず」
ここだけは、認めた。あくまでも「外向きに言ってはいけないこと」として。
つまり、あの時そう思いながら、私が家を見つめ戦っているときに、「なーんもしらね」だったことを自ら披露した。「わかんないままに」機械的に「いいね」しながら。
問題を起こした担当は、辞めて仕方のない非常にまずいことがあったらしい。ただ、私は彼に助けられて家を建てた。少なくとも、今の担当より、マシだった。
当時、こんなやつに、見られながら家を建てていたんだと、改めて思った。
公にこれらを披露してよいと昨日彼が言ったので、文書にしました。
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