Bitter Cafe
苦くて渋くて辛くて酸っぱい日記
私はエピソード記憶が強いほうだと自分で思う。
今日は、何がきかけだったか忘れてしまったけれど、小学校の頃のことを思い出した。
私はずっと姿勢が悪く、骨盤が後傾している。そんな自分を顧みることなく、朝礼とか体育の授業で私の前にいた林さんという子が、前へならえをすると、体が後ろに傾いてきて、肩甲骨付近が出っ張って、後ろの私は、彼女との距離感がつかみづらいなと思っていた。今思い起こせば、私も同じ体勢になっていて、後ろの子はやりにくかっただろうなと思う。
ところでこの林さんは転校生で、お母さんと二人暮らしだった。ところが、お母さんはアルコール依存症で、入院するか施設に入るかということになってしまい、休みが続き結局また転校していった。今思えばそんな個人情報を子供たちに知らせることもどうかと思うけど、そんな時代で、新聞社の人が来て、彼女の身の上と今子供たちが彼女に送る人形を作っているというような新聞記事が掲載された。実際は、その人形は彼女のために作っていたのではなく、人形劇のためだったので、彼女のもとへはわたらなかった。だいたいこんなでかい人形を40体以上もらったって困るだろう。
林さんは、身の上も手伝ってか、転校生だったからか、微妙に浮いていた。ある時、私は仲のいい美紀子ちゃんとしゃべりながら歩いていたら、不意に、前にいた林さんが後ろを向いて何か言った。私たちは彼女に関係ない話をしていたので、え?何?という関係ねーだろ的な何かを言ったと思う。すると、横にいた幸代という子が、
「どーして林さんにそういう態度するの」
と抗議してきた。よくいるタイプのやつだ。
幸代はそこそこ頭もよく、「よい子」というイメージを体にまとっていた。
クラスの中でよいことをしたらもらう牛乳瓶のふたで作ったメダルをたくさん持っていた。ちなみに私も3個持っていたけど、そのうちの1個は、ほんとは良くないことしてたくせに黙っていただろと友達に言われて、昔からこーいうやきもちってあるなと今思う。
さて、幸代である。彼女は、牛乳瓶メダルをコレクションし、ついにでかいゴールドの画用紙で作ったメダルをもらえるところまで上り詰めた。みんなで幸代のいいところを出し合い、もらう価値があるかどうかまで議論した。
私は、まぁそれでいいんじゃないかと思っていたので、賛成した人起立仲間に入り、もらう価値ありエピソードが上がると、それに賛成したら座るとかなんとかいうので、2人目の発言で座ったら、周りにいた幸代反対派から、そーやって適当なところで座りやがるみたいなことを言われた。うるせーよな子供でも。
結局、幸代はメダルをもらった。今思えば、幸代は、それほどいい子ではなかったのかもしれない。適当なところでエンエン泣いたし、林さんにあげるわけでもない人形もほとんどおかーさんに作ってもらっていたし。平気で夕方遅くまで人の家で遊んでいたし。
そして、幸代とは高校で再会した。といっても同じクラスにはならなかった。3年生の時に同じクラスだった子が、幸代と1年の時に同じクラスだったけど、嫌われていたと言っていた。
あらあらと言う感じだ。
子供は、成長するといろんなところを見極めたり、ひがんだり、冷めたりなんかして、こんな風に人間の評価を変える話。
さらに、幸代以上に私にとって「よい子」のレッテルを自ら貼りながら、実は「要領だけの子」ひろっぺも思い出した。こいつは頭も非常によく、生徒会の仕事もしていた。でも自分に楽なように、やりやすいように環境を作っていて、こっちにカスを与えるような、どーしようもないやつだった。うちのかーさんと彼女のおかあさんは高校の同級生だったからやきもち焼きのかーさんとしては、こんな風にして「よいポジション」を取るひろっぺが憎らしかっただろう。
ひろっぺは今どうしているんだろう。相変わらず、自分の生きやすいように生きて、相手にカスを与えているだろうか。
なぜかそんなことを考えながら買い物をしていた私って。
だいたい読まねーよこんな長文。
今日は、何がきかけだったか忘れてしまったけれど、小学校の頃のことを思い出した。
私はずっと姿勢が悪く、骨盤が後傾している。そんな自分を顧みることなく、朝礼とか体育の授業で私の前にいた林さんという子が、前へならえをすると、体が後ろに傾いてきて、肩甲骨付近が出っ張って、後ろの私は、彼女との距離感がつかみづらいなと思っていた。今思い起こせば、私も同じ体勢になっていて、後ろの子はやりにくかっただろうなと思う。
ところでこの林さんは転校生で、お母さんと二人暮らしだった。ところが、お母さんはアルコール依存症で、入院するか施設に入るかということになってしまい、休みが続き結局また転校していった。今思えばそんな個人情報を子供たちに知らせることもどうかと思うけど、そんな時代で、新聞社の人が来て、彼女の身の上と今子供たちが彼女に送る人形を作っているというような新聞記事が掲載された。実際は、その人形は彼女のために作っていたのではなく、人形劇のためだったので、彼女のもとへはわたらなかった。だいたいこんなでかい人形を40体以上もらったって困るだろう。
林さんは、身の上も手伝ってか、転校生だったからか、微妙に浮いていた。ある時、私は仲のいい美紀子ちゃんとしゃべりながら歩いていたら、不意に、前にいた林さんが後ろを向いて何か言った。私たちは彼女に関係ない話をしていたので、え?何?という関係ねーだろ的な何かを言ったと思う。すると、横にいた幸代という子が、
「どーして林さんにそういう態度するの」
と抗議してきた。よくいるタイプのやつだ。
幸代はそこそこ頭もよく、「よい子」というイメージを体にまとっていた。
クラスの中でよいことをしたらもらう牛乳瓶のふたで作ったメダルをたくさん持っていた。ちなみに私も3個持っていたけど、そのうちの1個は、ほんとは良くないことしてたくせに黙っていただろと友達に言われて、昔からこーいうやきもちってあるなと今思う。
さて、幸代である。彼女は、牛乳瓶メダルをコレクションし、ついにでかいゴールドの画用紙で作ったメダルをもらえるところまで上り詰めた。みんなで幸代のいいところを出し合い、もらう価値があるかどうかまで議論した。
私は、まぁそれでいいんじゃないかと思っていたので、賛成した人起立仲間に入り、もらう価値ありエピソードが上がると、それに賛成したら座るとかなんとかいうので、2人目の発言で座ったら、周りにいた幸代反対派から、そーやって適当なところで座りやがるみたいなことを言われた。うるせーよな子供でも。
結局、幸代はメダルをもらった。今思えば、幸代は、それほどいい子ではなかったのかもしれない。適当なところでエンエン泣いたし、林さんにあげるわけでもない人形もほとんどおかーさんに作ってもらっていたし。平気で夕方遅くまで人の家で遊んでいたし。
そして、幸代とは高校で再会した。といっても同じクラスにはならなかった。3年生の時に同じクラスだった子が、幸代と1年の時に同じクラスだったけど、嫌われていたと言っていた。
あらあらと言う感じだ。
子供は、成長するといろんなところを見極めたり、ひがんだり、冷めたりなんかして、こんな風に人間の評価を変える話。
さらに、幸代以上に私にとって「よい子」のレッテルを自ら貼りながら、実は「要領だけの子」ひろっぺも思い出した。こいつは頭も非常によく、生徒会の仕事もしていた。でも自分に楽なように、やりやすいように環境を作っていて、こっちにカスを与えるような、どーしようもないやつだった。うちのかーさんと彼女のおかあさんは高校の同級生だったからやきもち焼きのかーさんとしては、こんな風にして「よいポジション」を取るひろっぺが憎らしかっただろう。
ひろっぺは今どうしているんだろう。相変わらず、自分の生きやすいように生きて、相手にカスを与えているだろうか。
なぜかそんなことを考えながら買い物をしていた私って。
だいたい読まねーよこんな長文。
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