Bitter Cafe
苦くて渋くて辛くて酸っぱい日記
ずっと若いころ、今でいう推しアーティストがいた。
若気のなんとかで、ファンクラブ施設支部なんぞ立ち上げていきがっていたりもした。
ありがたいことにイベンターさんが、彼らを呼んでくださっていたから、そちらの業界の人に近づきたいとも思っていた。
結局、そんなことを考えることなく、自分の仕事がイベントホールになって、その業界の人と同じ立場でのお付き合いになった。
でかい声の私が電話に出ると、「元気が出る」と、世間話も弾んだ。
お互い歳もとった。痛いところも増えた。
昨年だったと思う、「腰が痛い」と電話で言っていた。
自分も腰痛持ちなので、同じレベルで考えて、慰めあった。
先方からの電話はあるものの、彼からの電話がなくなった。
ここ数か月、あの時の「腰痛」が気になって仕方がなかった。
うちの職場には、彼のことは誰も伝わっていなかった。突然、末期がんが伝わってきた。
そして今日、逝去の報が入った。
短い期間の闘病だったように思う。
うちでの共催イベントの時は、よく人気のある菓子を差し入れてくれた。
事務所の中の私を見つけると、わざわざ、他のスタッフを越えて、手渡してくれた。
そんな人だった。
そんな人がいなくなってしまった。
そんな人は、私の母より若く逝ってしまった。
若気のなんとかで、ファンクラブ施設支部なんぞ立ち上げていきがっていたりもした。
ありがたいことにイベンターさんが、彼らを呼んでくださっていたから、そちらの業界の人に近づきたいとも思っていた。
結局、そんなことを考えることなく、自分の仕事がイベントホールになって、その業界の人と同じ立場でのお付き合いになった。
でかい声の私が電話に出ると、「元気が出る」と、世間話も弾んだ。
お互い歳もとった。痛いところも増えた。
昨年だったと思う、「腰が痛い」と電話で言っていた。
自分も腰痛持ちなので、同じレベルで考えて、慰めあった。
先方からの電話はあるものの、彼からの電話がなくなった。
ここ数か月、あの時の「腰痛」が気になって仕方がなかった。
うちの職場には、彼のことは誰も伝わっていなかった。突然、末期がんが伝わってきた。
そして今日、逝去の報が入った。
短い期間の闘病だったように思う。
うちでの共催イベントの時は、よく人気のある菓子を差し入れてくれた。
事務所の中の私を見つけると、わざわざ、他のスタッフを越えて、手渡してくれた。
そんな人だった。
そんな人がいなくなってしまった。
そんな人は、私の母より若く逝ってしまった。
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